2008年7月14日 (月)

ブログ移転のお知らせ

こちらのブログは、下記のURLに移転いたしました。

http://yggdrasil-garnet.blog.eonet.jp/

2008年7月 4日 (金)

さよなら。

だいすきなここ。

2008年6月22日 (日)

失礼かもしれませんが。

大学のころからいつもお世話になっている薬局がある。どこで処方箋がでても、家からは遠回りだができるだけそこに行くようにしている。
いつもの通り処方箋を持って行き、いつもの通り薬剤師さんと1時間くらい話し込んでいた。私の最近の「飛行高度について」なんやかやと話し、いつになったら「安定飛行」になるのかという話になり、
「失礼かもしれませんが、この表現が合っているのかわかりませんが、長年のお付き合いから言わせていただくと、ご自分の不安定を楽しんでらっしゃるように見えます」
とはっきり言われた。安定を望むのはいったい幾つになったときなのかしら、私。

2008年6月14日 (土)

どちらというと。

自分が想うから夢に出るという解釈より
想われるから夢に現れるという解釈のほうが好き。

手前勝手といわれても、ちょっと思い込みが危ないと思われても、
夢で長い間会っていない友達がでてきて、目が覚めてああそうだと思って電話したら、相手もちょうど電話しようとしてたり、そういう偶然がうれしかったり。

周りの人が夢で人に逢った話をすると

「きっと想われて念が飛んできてるのよ」

と言っては、どきどきさせたり、固まらせてみたり、面食らってる様子を観察したりしてる。ちょっと変な子だと思われつつ。

そういう自分は、最近夢を見ることがほとんどないし、(前はしょっちゅう悪い夢を見て起きてたのに)見てもほとんど知ってる人がでてこない。。



「恋ひ死ねとするわざならし むばたまの夜はすがらに夢に見えつつ」

でも毎日夢に出てきたら、それもそれですごい「執念」だな。。怖いな。。

2008年6月11日 (水)

今、どうしたいの?

いつもこんなことを言われては、周りを苛立たせてる。自分がどうしたいのかを、コトバにするのが怖い。逃げてるだけといわれたらそれまでだけど、勢いで責任がとれないのもイヤ。
それでも、昔に比べたら、「はい」と「いいえ」を言える。子供みたいに「いやいや」を言うようになった(26にもなって、赤ちゃんがえりか・・・?)そして私の「嫌」っていう一言は、時々破壊的。それだけ怖いってことかもしれないけど・・(笑)全身全霊をこめた拒絶を感じるらしい。
ちゃんと選べてるだけ、良しとしたいけど。

気の持ちよう?

結局のところ、私の不調ってそれなんかな・・・

2008年6月 8日 (日)

今後の方針。

風邪を2週間続けてます。高熱でるし、いつまでたってもあちこち痛いし、どんだけ抵抗力が落ちてるんだか。。とある意味諦めモード。仕事もなかなか思うように出れてません。それでも、周りに助けられてなんとかこなしてます。


で、どっとコムの終了に伴うことについて、ずっと考えていたのですが、
・データの移行はする
・更新は止める(多分)
・エキスパートブロガーへの登録はしない

の3つで行こうかと思ってます。データを消すかどうかについてはまだ少し考えるかもしれませんが、やっぱゼロにはしたくない、というのがあり。これについて細かいことはもう少し考えることにして。
更新は、いつかこういう日がくるときのためのもう一つを持ってるので、書きたいときはそっちを使う。
更新しない可能性が高いのと、私は関西どっとコムが大好きだったので、関西どっとコムと共に公式として居るのは終了したい。
そんな感じです。

2008年5月27日 (火)

記憶の領域。

忘れて欲しいと思う自分と忘れられたくない自分と、両方はすごく矛盾してるけど、どちらもあって、時々ややこしい。
いつも考えるときの基本は、自分がいなかった場合どうなってるか、だ。自分がいなければうまくいってたかもしれない、とか、いなければ人に不快な思いを与えないですんだかもしれない、とか、非常にネガティブだが、そういう考え方をしている。
非科学的かもしれないけど、私は人のマイナスの気を吸いやすい。というか、それによって影響されやすい。マイナス状態の人は、私から出てくるなんとなく楽になる気に吸い寄せられてくるみたいで、今まで何度と無く「一緒にいると楽になる」といわれてきた。しかし、その「楽になる」という感覚は時々錯誤を起こしているんではないかと思わずにはいれず、私から出ている「何か」をどうにかして切りたいと思ったりする。
自分がいなければ、「錯誤」も起きないはずだという理由で、いないことにしたいという願望。

それのもう一方で、この人はどうやっても、この「気」に影響を受けないだろうという人が時々いる。鎮静の必要がなく、気も安定してる上に、自分の事を大事にしていて、プライドも高い人。そして、私よりも頭の回転が早く絶対に敵わない人。そういう人は私の「気」に気づいても、興味は示さない。
そういう人の意識に入るのは、難しい。難しいがゆえにいかにして、この人の記憶の一領域を占めれるのだろうと考える。何もかもをひたすら記憶する人ならまだしも、効率的に記憶を最適化できる人には、取るに足らない記憶ではいけない。
自己の興味の追求の類なのだけど、大学生のころからずっと考えてることでもある。。。とくに忘却については非常に神経質だ。

2008年5月13日 (火)

魔法のコトバ。

コトバ一つが、希望となり、生きる意味となり、支えであり、道しるべとなり、そのコトバは美しく、そして時には毒のようで、媚薬や麻薬でもある。

2007年12月 8日 (土)

限りなく低い。

昨日は帰宅してから、号泣。どうしようもなく泣けてきて、今もすぐに涙がでてくる。昔に逆戻りしたみたいな気がする。
自分で選んだことの結果なのだから、前に進むための選択なのだから、とわかっていても、どうしてこんなにも苦しい気持ちがするのだろうと考えていた。
いつも過去は過去のものにできない。記憶はいつも鮮明で、すべてがたくさんあふれてくる。まだ10代のとき、裏切られてそれでも振り切れず、やっとの思いで振り切ったとき、それまでの積み上げてきた一緒に見たもの、感じたこと、考えたこと、すべてが無意味だったんだってことをどうしても認められなかった。永遠にこのつながりが切れて、このつむいできた過去と今が途切れることが、どうしてもつらかった。
その人のことを最後まで好きだったのかどうか、今でもわからないけど、途切れるということにこだわり、無意味になったことにどうしようもなく情けなかった。
それから浪人して大阪にきて、それでも一日たりとも忘れられず、毎日泣いていた。何をしていても、忘れられなかった。誰かを好きになっても、それは変わらなかった。その人のことを忘れられないというよりも、「積み重ねたもの」にこだわっていたのだと思う。

何一つ忘れられないし、何もなくさず、消したくない。たくさんあればあるほど、たくさんおいておきたい。何も捨てられない。改めてそういう自分を自覚してしまう。

本当に本当に好きで、大事で、でも遠くて、さびしくて、つながってきた時間のすべてをそのままずっとつないでいたかったんだ。本当に失いたくなかったんだ。何ヶ月も、毎日そんなことばかりずっと思いつめて、出した答えが一緒に居れるほど、私は強くないってことだった。選んだのは私なのだけど、それでも今までの気持ちをリセットできなかった。
できていたつもりだったけど、やっぱできてなかったんだって、昨日わかった。途切れたつながりが目の前に横たわっていて、胸がしめつけられて、息ができなくなりそうだった。